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「もの」の原点みせられた [切り抜き]

飛べ!フェニックス

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 朝日新聞夕刊連載「私のグッとムービー」には安西水丸さんの映画蘊蓄が語られています。水丸さんは42年生まれですから、もう70歳を越えたんですね。未だ健筆衰えを知らずってとこですね。加古さとしさんや水丸さんはいわゆるヘタウマの元祖だとおもうのですが、水丸さんのイラストはホントに味がありますね。近頃、女性校長が増えてきて、いわゆる確実な学力を問う文科省の出先機関として若い先生を口撃していますね。図工でも「何ですか、こんな汚い絵を描かせて!!」っていじめているようですね。青梅の若い図工の先生はたまらなくなって止めちゃったらしいです。うまい絵がいいのですね。校長先生は。だから水丸さんのイラストはきっと子どもっぽいって嫌いな筈です。

 まあいいか。水丸さんの映画談義と行きましょう。

 

 映画はほとんど毎日見ています。僕にとっていい映画とは「何度見てもおもしろい映画」。この映画もその一つです。輸送機がサハラ砂漠に不時着。救助を待つ中、乗客のドイツ人エンジニアがあることを思いつきます。壊れていないエンジンを使い、双発・双胴機を単発機にすれば飛べるのではないかと。苦難の末、改造した飛行機が飛び立った瞬間はやっぱりホッとしましたよね。

皆が彼を「飛行機の設計士」と勘違いしますが、実はモデル(試作)機の設計士。それを「おもちゃの飛行機」と言う機長に彼は憤慨します。「モデル機は、ライト兄弟が飛行機を飛ばす50年も前に飛んでいる。飛行機の設計理念はモデル機にあるのだ」と。このセリフ、感動しましたね。狩りの獲物を伝えようと描いたアルタミラの洞窟を見ても、僕は絵の歴史はイラストレーションから始まったと思っているんです。それと似ている。人が作る「もの」の原点とはこういうものではないかと、見る度に思うんです。

 主役は機長役のジェームズ・スチュアートで、エンジニア役のハーディ・クリューガーは言ってみれば脇役。でも、いい味出していますよね。映画を見ていて思うのは、脇役がいかに大事かということ。脇に何を添えるのか、僕がイラストレーションを描く時、そこは映画から影響を受けているのかもしれません。

 歩くだけで印象に残る役者はいますから。本当の個性って、そういうものだと思うんです。


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保守主義と歴史認識 [切り抜き]

否定できぬ慰安婦強制

 

慰安婦問題で「河野談話」をとりまとめた元内閣官房副長官の石原信雄さんへのインタビュー記事。自民党も穏やかな河野さんや鳩山さんがいた時代。今や過激な安倍や石破が牛耳って、途方もなくなっている。大阪には橋下っていうゴーマニズムの弁護士もいるね。その橋下がアメリカを怒らせてしまった慰安婦問題の核心を吐露している。

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Q 日本維新の会の橋下徹共同代表の従軍慰安婦をめぐる発言が物議を醸しました。

A 慰安婦を募集した際の強制性について政府はあいまいだと橋下氏は批判しているが、河野談話の取りまとめに関わった人間からすると強制性は認めている。調査員を派遣して、慰安婦とされた人たちで政治活動をしていない人を選び、中立的な雰囲気の下で話を聞いた結果、明らかに本人の意思に反するものがあったことは否定できないという心証を我々は得た。

Q 通達などの物証は出ませんでした。

A 文献その他からは、日本政府なり軍部が強制的に慰安婦を募集せよといったものはない。

焼いてしまったという人がいるが、そうじゃないと思う。当時の軍だって、本人の意に反してでも集めろなんて文書を出すはずがない。慰安婦の募集は軍部が直接やったわけではない。業者に委託し委託料を払った。業者がノルマを達成するために、朝鮮総督府の巡査などが業者の依頼を受けて強引に応募させた。工場の挺身隊に行くと言われて行ったら、慰安所で帰してもらえず、だまされたという人もいた。

Q 物証がないのに強制性を認定したこに批判もあります。

A 当事者のせアリングで認定ことには、当時から間違いだという批判はあった。今でもある。しかし、宮沢内閣としては、戦時中の不幸な出来事、そうした負の遺産は決着をつけて、日韓の未来志向の関係にもっていきたいと考えた。

Q 慰安婦問題や太平洋戦争を正当化しようとの動きはどう見ていますか。

A 戦後、日本は西欧型民主主義を受け入れた。自由社会のパートナーとしてアメリカとの関係を良好にしでいこうというのが代々の政権のスタンスだ。これに対して、石原慎太郎(日本維新の会共同代表)さんたちは、アメリカは日本を占領政策の延長線で考えているととらえ、日本民族の主体性、独自性をもっと強調しろというようなことを言うもんだから、アメリカからすれば日米の協力体制を見直すという動きに取れるのだろう。

(後略)


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障害者差別解消法成立 [切り抜き]

 ようやく政府は重い腰をあげて法律を国会に提案し、全会一致で成立さでた。でもこれは国連の「障害者権利条約」にやっと批准しようというまさに党略的動機が見え隠れする。

 まあ、それでも障害をもった人々には朗報だ。3年後というまたとんでもない時間が猶予期間としてゆるされているのが気に入らないけれども……。11年に制定された改定障害者基本法がこの法律制定の動機になってもいるのだね。記事内容を意訳して提出しよう。

 

 障害の有無にかかわらない共生社会の実現を目指す「障害者差別解消法」が19日午前、

参院本会議で全会一致で可決、成立。公共機関や民間企業に対し、障害を理由とした不当な差別的取り扱いを禁じ、過重負担にならない限りは施設のバリアフリー化を進めるなどの合理的配慮を求める内容。国に指導・勧告権があり、虚偽報告した企業への罰則規定も設けた。施行は20164月。

 何が差別に当たるか、政府は今後、基本方針を策定。

この法律制定は、国連障害者権利条約の批准に向けた国内法整備の一環。11年成立の改正障害者基本法で障害者への差別禁止が定められたことを受け、差別解消策を具体化するため制定した。

 条文では、障害者や家族が意思表示したのに障害に応じた合理的配慮をしないことを禁じ、障害者の性別や年齢、障害の状態に応じて「社会生活上の障壁」を除去するよう求めている。

 合理的配慮については、行政機関(国と自治体や公立学校、福祉施設など)に対し法的に義務化。民間事業者に対しては努力義務にとどめたが、実効性を持たせるため国が事業者に報告を求めたり、助言や指導、勧告をしたりできると定めた。

報告しなかったり、虚偽報告をしたりした場合、20万円以下の過料が科される。

 政府は有識者らで組織する障害者政策委員会の意見をもとに。各省庁で何が差別に当たるかなどガイドラインを作る。施行3年後をめどに見直す。

 今回の審議を通して国会は政府に対し、基本方針、ガイドラインは障害者基本法に定めた施策の基本事項を踏まえて作成▽中小企業への配慮▽差別の相談例や裁判例の集積▽「複合差別」を受ける障害女性や障害児の人権擁護-などを付帯決議で求めた。


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ルー米財務長官が新書名 [切り抜き]

これでどう? また批判…でもドル札に

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 アメリカは粋な国でもあるね。新しい紙幣を発行するときには、時の財務長官のサインが紙幣に印刷されるのだ。その財務長官の名前はジェイコブ・ルー。なんでも彼のサインがまるで子どものような殴り書きにしか見えないって、顰蹙をかっていたのに、その批判に応じて読みやすくしたら、今度はつまらんと言い出す。どこかの国もおんなじなんだね。

新聞記事を紹介しよう。愉快な内容だ。

 

米財務省は18日、新しくドル札に印刷されるジュイコブ・ルー長官の署名を公表した。丸がくるくると連なり、「試し書きのよう」と酷評された就任前の署名と比べると形は整っているが、今度は米メディアからも「つまらなくなった」と残念がる声が出ている。

 新しい署名は「ジェイコブ」の最初の「J」とミドルネームのイニシャルの「J」、名字の「LeW」はおおよそ判読できる。

 今秋から流通するドル札で使われるという。(ニューヨーク発)


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パラダイムシフト 2 [切り抜き]

温暖化対策はポスト核の重要な課題


 社会的課題を前に、利用可能な資源をその対策にむけて徹頭徹庵合理的に組み立てるという、当然ともみえるこの態度の根源には、全面核戦争の脅威という底知れぬ不安があった。だが、1989年11月、ベルリンの壁が崩れたことで、核戦争の恐れは大幅に後退し、冷戦体制の大半が無用の長物と映る事態となった。意外なことに、ここに国連気候変動枠組み条約(温暖化条約)成立の一因がある。

 米ソ核対決を前提に組み立てられてきた国際政治に突然、脅威の空隙が生じ、国際政治はその生理として、この空隙を埋める新たな「脅威」が必要となった。こうして急遽、外交の主要課題として認知され始めたのが温暖化問題なのである。

 考えてみると、核戦争の脅威と温暖化の脅威とは似ている面がある。第一に地球レベルの脅威である、第二に各国の経済政策と深く連動している、第三に脅威の実態の確認が困難である。もちろん両者には違いもある。その一つが脅威の質である。冷戦時代、核戦争の脅威が過剰に見積もられた結果、後世には大量の核弾頭と核廃棄物が残された。他方、温曖化の脅威を少々大きく見積もったとしても、後世に残るのは、省エネ・公害防止の研究と投贅である。なんと幸いな脅威であろう。

 そして日本は東日本大震災に見舞われた。実は地震研究が飛躍的に進んだのは、地下核実験監視の目的で、高精度の地震観測網が張り巡らされて以降である。先進国のなかで、首都を含め国全体が地震の多発地帯の上にあるのは日本だけである。

 国家の第一の使命が、国民の生命財産を守ることであるのなら、戦争を主軸に置いた狭義の安全保障概念を拡大し、数百年の単位で到来する温曖化と巨大地震・巨大津波を脅威の内に繰り込んだ文明の設計とその実現に、全知性を傾けること、それがポスト震災に生きるれれわれに与えられた課題なのである。

(おわり)

 



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パラダイムシフト [切り抜き]

ポスト核抑止の安全保障概念を
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 米本昌平氏

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パラダイムシフトには映像が添付されている。主題と関連しているかのような意味深長な画像だ。関口純撮影となっている。純は女性?


 毎日新聞連載「パラダイムシフト」は副題が「2100年への思考実験」とある。だからこれは遠大な未来への志向性の問題であり、ここでは現状追認でない、課題解決への思考実験をしてみようというのである。さらに第一部「核」なき社会とあるから、これはまさに20世紀の最大の負の遺産である「核」をどう精算するかという論理構築でもあると思う。

 論考を展開しているのは総合研究大学教授 米本昌平氏(科学史)だ。寄稿とあるから、請われたのでなく、自らの主体性を発揮してのアクションだということになる。新聞もそれをとりあげたのだから、自らの論理性と同義であると言っているととらまえてもいいだろう。毎日の思考実験に賛同したい。米本氏の論考はやや長文だから2回に分けて提出しようと思う。

 それでは「ランド研究所」成立の経緯から繙くことにしよう。


 冷戦時代が「超近代」の名に値するのは、なにも核兵器の配備だけが理由なのではない。確かに、最悪時、米ソ両陣営あわせて69000発の核弾頭を配備し、睨み合う異様な光景が出現したのは、これに向けて非合理なほど合理主義が動員されたか

らに他ならない。だが、非合理なほどの合理主義の席巻は、核兵器というハード部門だけではなかった。これを運用するソフト部門も同様であった。

 冷戦の初期、アメリカのエリートたちは極端な合理主義を信奉し、眼前の事態をそのまま受け容れた上で、これを運用するためのさまざまな理論を案出した。しかもその上澄み部分は、現在の思考様式に強い影響を及ぼしている。それを象徴するのが、世界初の本格的シンクタンク、「ランド研究所」である。

 ■

 第二次世界大戦が終結するやいなや、カリフォルニア州に、アメリカ空軍を唯一のクライアントとする民間の研究機関、ランド研究所が誕生した。大学付属研究所のようなこのシンクタンクは、核兵器・ミサイル・軍事衛星などからなる壮大な冷戦装置を連用する基礎理論をつぎつぎまとめあげた。核戦略論と呼ばれる一連の研究である。

 冷戦時代、大陸間弾道ミサイルによる核攻撃に対して防御手段はないと考えられたから、その対抗手段として、もし敵が先制攻撃をしかけても、数倍の報復を与えるだけの反撃能力を保持しておく必要があった。伝統的な軍事理論には攻撃と防御の概念しかなかった。そこで、核兵器による威圧を議論するために考え出されたのが核抑止論である。これを具体的な政策論に焼き直してみせたのが、マクナマラ国防長官(当時)の「相互確証破壊」であった。要するに、核による恐怖の均衡論である。

 核戦略論の基本にあるのは、あらゆる要素を抽出して数値化し、すべての可能性を計算しつくすという態度である。ランド研究所は、この思考方法を多様な社会現象にもあてはめ、理論化し、政策論の基礎とした。ゲーム理論、合理的選択論、フェイルセーフ、システム分析などその成果を挙げればきりがない。特筆すべきは、経済の領域で数理論化を徹底的に試みたことである。その結果、ランド研究所の関係者からノーベル経済学賞の受賞者が輩出した。

(つづく)                


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天声人語 [切り抜き]

なだいなださんが亡くなった。気骨のある闘士だったと思う。老人党党首だったね。天声人語にうま〜くなださんのことが描かれているのでチョイスしよう。


 現実がよく見えた人だった。

 なだいなださんは、ネット上の仮想政党「老人党」をつくり、政権交代を目指した。09年、民主党政権ができる直前、日本政治の惨状を肺炎に見立てた。交代が実現しても「患者の熱が一時下がっただけのようなもの」と、本紙に語っている

 政権交代を3回、4回と重ね、治療を続けてやっと肺炎は治っていく。政治が一挙に変わるかのような空気の中、この精神科医が下した診断は透徹していた。多才な文筆家でもあった、なださんが亡くなった

 現実を見すえつつ楽観主義を貫いた。名著『権威と権力』では、(絶望的な状況でも、希望を失わない人間)に自身をなぞらえる。そして理想とは(たどりつけるもの)ではなく、(見つめるべきもの)である

 権威も権力もない社会は来ないとわかった上で、状況への発言を続けた。第1次安倍政権のナショナリズムヘの傾斜を「国家中毒」と批判した。いまのアベノミクスも疑い、先月末には(浮いた気分も、もう終わりでしょう)と書いた

 大切にした臨床での心得がいい。アルコール依存症は「治す」のではなく、患者と「つき合う」。医師の仕事は「人間というものがよく見えるし、自分自身のいいところ悪いところが鏡のように映る」

 残り少なくなった日々、周りの家族のつらさを深々と気遣っている。ブログに(結局死んでいくぼくが一番楽なのかもしれない)と綴った。「自分から一歩外に出て自分を見る」流儀を最後まで通して逝った。
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文芸批評 [切り抜き]

幸せのカギ 脱成長にあり

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 朝日新聞夕刊「文芸批評」(英語ではARTSCULTUREというらしい)に、フランスの経済哲学者 セルジュ・ラトゥーシュさんが登場している。風貌はまさに解脱した修行僧のようだ。こんな感じの人はいいな。大好きだ。言っている事もいい。だってさ、脱成長だよ。まったく同感だ。もういい加減にゆったりとして生きていかなけりゃ、ホモサピエンスは亡びると思うんだ。でも、ウォシュレットをやめなさいっていっているけど、これだけは勘弁してください。このごろ、年であのあたりがすぐにただれるのですよ。ね〜お願い。

 インタビュー記事を漏れなく提出しておこう。やや長文ですが、お付き合いください。

 (脱成長)という概念は、経済の規模を徐々に小さくすることで消費を抑制。本当に必要なものだけを消費することで、真の幸せにつなげていこうという考えだ。著作は欧州を中心に読まれ、日本で5月に刊行された『(脱成長)は、世界を変えられるか?』(作品社)は6カ国で翻訳されている。

 共同体の精神破壊

 「経済成長は、結果的に大多数の人を決して豊かにしない。人の生存を脅かす貧困や飢餓は、経済成長こそが生み出す」

 念頭には、長年にわたって現地調査をしてきたアフリカやアジアの村落共同体の生活があるという。例えば、貧困や飢餓の多くは、歴史的に見ると、異常気象を原因とする食料不足が原因ではなかった。商品作物の生産など偏った開発によって、生活基盤が破壊され、共同体内部の分かち合いの精神が失われるなど、「経済成長を目的とした開発自体が原因でした」。

 こうした「成長」の問題点は先進国にもあてはまるというのが、持論だ。「私たちの想像力は今や完全に『経済成長』によって植民地化されてしまい、社会の問題は成長によって解決されると信じ込んでいる。長期的に考えれば資源は枯渇し、環境は破壊されることは明白にもかかわらずだ」

 バブル崩壊後の低成長時代を「失われた20年」と呼ぷ日本では、成長なき社会を「豊かな社会」と捉える人は少ない。この20年間で貧困や労働問題は、深刻化したと考える論者がほとんどだ。「日本の例が示しているのは、経済成長至上主義の社会のままで低成長になると、人が生きていくのに厳しい社会になるということ。結局、経済だけでは問題は解決しない」

 では、どうすれば? そこで説くのが、社会の基本的な単位を小さくした「ローカル化」戦略だ。実際、欧州危機後、ギリシャやスペイン、イタリアなどではスローライフのコミュニティーづくりの動きに拍車がかかっているという。

 「『環境にやさしい』運動というと、先進国の裕福な人たちによる、お金のかかる運動と思われがちだが違う。短期的な経済成長に右往左往しないでよい社会をつくっていくことを意味している」

 成長の追求がもたらす弊害は、20世紀後半から何度も議論されてきた。「もはや、私たちは問題を『知らない』のではない。ある哲学者の言葉を借りれば『知っていることを 信じようとしない』のです」

 まずはトイレから  

(脱成長)が必要と思ったら、まず何をすればよいのか? 「もちろん、運動をする、選挙の投票先を変えるなどいろいろあるが…」と言った後、「まずは洗浄便座付きのトイレを使うのをやめなさい。あの水を出すための電気だけでも日本全体なら相当なものです」。

 「安倍首相は『日本を取り戻す』と言っていると聞く。それは経済成長するということではなくて、『もったいない』精神を持ち、生態系と共存する、古きよき日本を取り戻すという意味でないといけないのですが」(高久潤)



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終わりと始まり その3 [切り抜き]

異なる倫理とのバトル 終章 

 倫理の問題について、これまでの自分の論法が間違っていたのではないかと思うのだ。

 例えば水俣病。チッソのやりかたは個人の倫理をもってすれば悪逆非道ということになる。業務上過失敦死という判決はあったけれど、実際は未必の故意による殺人ではなかったか。

 あるいは福島における東京電力。よくもまああれほどぬけぬけと嘘をつき、白を切り、ごまかし、隠し、払うべき額を値切れるものだ。

 だが、そこのところをホモ・サピエンスの倫理で責めてもなじっても、それは栓ないことではないか。種が違い、生きる目的が違うのだから。人でないものに人倫を求めるのは無意味だ。

 大企業の経営者の人間性を問うのも見当違い。彼らはホモ・サピエンスの顔とホモ・エックス代表の顔を持っていて、この間には何の連絡もない(高村薫が『レディ・ジョーカー』で書いたとおり)。家で温厚な祖父が会社で被災者を冷酷に突き放す。人格が違うのだ。

 これはあまりに法人性悪説に傾いた論だろうか。

 製造業に恩義はある。ぼくたちは彼らの作った自動車に乗り、彼らの売る衣類を着て安楽に暮らしている。彼らの製品であるアセトアルデヒドや電力があってのこの暮らしだ。それならば共生は相制約だと認めるべきだろう。

 しかし、今の世界では個人の力に比べて法人の力があまりに強くなった。我々が太陽のエネルギーや酸素や水で生きているように、法人は資本で生きている。自然にはリミットがあってそれが個人の生きかたを規制してくれるが、資本はもともとが幻想だから天井がない。早い話が日本銀行が紙幣を刷ればいいだけのことだ。その分だけ法人たちは力を得て強くなり、個人の栄養分を吸い上げる。片利共生はやがて寄生に変わる。

 つまりこれは人間ではないものを相手にするバトルなのだ。東電で働く個人のみなさん、経済産業省で働く個人のみなさん、共闘しましょう。

(おわり)

スズムシ:ホントですね。本気で考えませんか?東電で働くみなさん!あ、そうそうアメリカCIAの元職員が暴露しましたね。テロ対策で個人情報をずっと盗聴したり、ネット上の情報を取得していたと……。まあ、これも資本の側の話で、人間ではないのですね。CIAという人間がつくりだした最強のオバケだと言えましょう。


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終わりと始まり その2 [切り抜き]

ホモ・エックスとの共生 その2

 

 ホモ・エックスって何だろう。中盤ではその正体が明かされる。よみすすめて見よう。

 

ホモ・サピエンスという種の特徴は環境を自分で整えることで、この手法によって我々は地上で大躍進を遂げ、すべての生物の上に君臨している(あいつらはずるいという怨嗟の声が自然界のあちこちから聞こえてくる)。そしてホモ・エックスもまた自分に有利なように環境を変える力を備えている。

 いちばん大きな問題は、彼らと我々では倫理が異なるということだ。

 そろそろ正体を明かそうか。

 ホモ・エックスとは法人、もっと簡単に言えば営利を目的としる株式会社の類いだ。

 我々個人は生まれて育ち、幸福に暮らして、子孫を残して、寿命を全うすることを生きる原理としている。例外は多々あるだろうが基本はそういうことだ。

 法人は株主から資金を集めて設立され、育って何らかの社会的事業をなして利益を生み、それを株主に配当として払うことを目的としている。

 個人は国家に属するが、最近では法人は自在に国境を越えるようになった。製造業で言えば、人件費が安く、土地が安く、公害対策がずさんで、法人税率の低いところへ移動する動きが目立つ。

 国としては逃げらては困るから、雇用のルールを緩めて不況の時に解雇しやすいようにし、精いっぱいインフラを整備し、安い電力を供給して引き留める。どれもコストがかかることで、そのコストを最終的に負担するのは個人である。ホモ・サピエンスとホモ・エックスの共生がだんだん片利的になってきている。

 彼らはそいういう方向へ進化している。自分たちで環境を変えて。

(つづく)

あさの笹井宏之1首

ふわふわを、つかんだことのかなしみの あれはおそらくしあわせでした。

 


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終わりと始まり [切り抜き]

ホモ・エックスとの共生  異なる倫理とのバトル

 池澤夏樹さんの連載エッセイ「終わりと始まり」(64日付朝日新聞)は久し振りに夏樹さんらしい現状への異議となっている。激越ではないけれど、やんわりとした告発を伴っているから僕はすきな文章だ。作家の文章だからそのまま提出しておこう。

 

 今、この地球上にはホモ・サピエンスとは別の知的生命体が棲息している。仮にこれをホモ・エックスと名付けてみよう。

 ホモ・エックスは生命の定義を満たしている。外部から隔てられた内部空間を持ち、代謝を行い、時に分裂したり統合されたりし、個体として生まれて個体として死ぬことができる。

 (ここで大事なのは、俗に信じられているように進化はそのまま改善・改良ではないということだ。進化はまずは変化であり、その意味づけは環境との関係に依る。変化が有利ならばその種はその環境において栄え、不利ならは衰える。時には絶滅する。)

 さて、ホモ・エックスは我々ホモ・サピエンスとは共生関係にある。我々は彼らから少なからぬ利を受け、彼らも我々によって生かされている。しかし、両者の間には軋轢もあって、それがどうやら時と共に深刻化しているらしい。ホモ・サピエンスが滅びることはないが、ホモ・エックスの支配下に入って半ば奴隷のような地位に落とされる可能性は低くない。

(つづく)

 

スズムシ:謎めいたホモ・エックスの正体はもうお分かりだろう。でも、このような言い回しの論理はあまりお目にかかったことがないので、揺すられるものがある。次回はその正体を暴きながら、両者の片利的な関係をつまみ出すことになるだろう。


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オバマのプラハ宣言の意味 [切り抜き]

オバマの理念支える戦略性

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 毎日新聞『パラダイムシフト』という連載が始まった。第一部は「核」なき社会。表題による論を展開しているのは鈴木一人氏(北海道大学教授・国際政治)。ご尊顔を拝見する程度でしか情報を知らないが、やや強面の青年。なかなか鋭い視点をお持ちなので遺漏泣く掲載しておこう。本文は寄稿とある。文化担当のデスクが飛びついたのだろう。

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 ところで、僕の感想。オバマの高らかなプラハ宣言(非核宣言)は2期目では色褪せてしまったのかね。あの勢いがなくなって、結局資本の軍門に下ってしまっている。アメリカって国は死の商人でもあるからね。容易なことでは転換しない。キッシンジャーなどの核抑止力の概念は時代遅れだとの思考はそれはそれで素晴らしいものだ。翻って日本では核武装論を唱える自民党議員もいる。

 ノーベル平和賞受賞の根拠となった、2009年のプラハ演説でオバマ大統領は「核なき世界」を訴え、世界中から喝采を浴びた。冷戦期には想像することすら難しかった「核なき世界」を現職のアメリカ大統領が訴えたことは、世界に衝撃を与え、多くの人がぞの理想の実現を願った。しかし、この理念はオバマの1期日の任期を使っても実現に近づく気配すらなかった。果たしてこの理念は理想主義的な空想でしかなかったのか。

 オバマがく「核なき世界」を訴えたのは09年が初めてではない。彼は1983年にコロンビア大学の学生雑誌で核なき世界に向かうべきだと論じている。また、07年にはシュルツ元国務長官(キッシンジャー元国務長官、ペリー元国防長官、ナン上院議員などのベテラン政治家たちが核抑止の概念は時代遅れであり、核を保有することでテロリストや北朝鮮等が核保有を目指すインセンティィブ(誘因)となっているとして、核なき世界を訴えたが、オバマは彼らからも強く影響されている。

 ここから言えるのは、オバマの「核なき世界」は長い間温められてきた理念と、ベテラン政治家たちによる戦略的思考の組み合わせだということである。つまり、オバマの「核なき世界」は単なる思い付きでもナイーブな夢想でもなく、現実的に実現心なければならない政策として位置付けられている。では具体的にどのように「核なき世界」を実現しようとしているのか。

 第一に、最大の核保有国であるロシアとの間で新START(戦略兵器常減条約)を結び、戦略核兵器の数を削減する。続いて、アメリカがCTBT(核実験全面禁止条約)を批准し、核実験を廃止し、核物質の生産を終わらせる。第二に、NPT(核拡散防止条約)を強化し、核の利用を平和目的のみに限定し、核燃料の国際的管理を進めて核物質の拡散も防ぐ。第三に、北執鮮やイランといった国々が核開発を進めれば、その違法性に対して罰則を強化し、テロリストなどが核物質にアクセスできないよう核の安全保障を強化し、核の闇市場を壊滅する。オバマの「核なき世界」は核兵器保有国の核削減、非保有国の平和利用の徹底、ルール破りに対する厳しい態度という、三つの次元での戦略を同時に進めることを目指している。

 しかし、オバマの第1期政権では、大統領就任前にはこじれていたロシアとの関係を「再起動」し、新START10年に上院で凛託されたこと、また、核セキュリティーサミットを開催し、核物質防護などの分野で前進が見られたことを除けば、ほとんどと言ってよいほど成果を見せていない。新STARTに基づく核削減もなかなか進んでいない。

 その背景には、第1期政権で健康保険改革や財政問題などで政治的な資源を使い果たしてしまい、CTBT批准の優先順位が著しく下がったこと、北朝鮮やイランの核開発が進展したが、有効な制裁措置を取れなかったこと、そして、不安定化する世界で湾岸諸国や韓国、場合によっては日本も核武装をする可能性があると懸念されたことが挙げられる。さらにオバマ第2期政権の最初の政策方針の表明となる13年の年頭教書演説では、改めて政策目標に「核なき世界」を盛り込もうとしたが、その数日前に北朝鮮が核実験を行い、急きょ原稿を書きかえる一幕もあった。

 オバマの「核なき世界」への道のりは遠い。その実現のためには楓兵器が、持つ意味のない兵器となり、現存する核物質が厳格に国際的に管理されるという状況が必要である。かつてリビアの核開発を断念させたように北朝鮮やイランの核開発が制御できれば、「核なき世界」は一歩近づく。小さな政府を目指す米議会が維持コストの高い核兵器を削減する可能性があることもオバマにとって追い風となっている。

 また、日本もオバマの「核なき世界」に責任ある立場であることを自覚する必要がある。日本は使用済み核燃料の管理や使うあてのないプルトニウムの処分などの政策を明確にしなければならない。日本の核廃棄物処理政策はオバマの「核なき世界」実現の一歩なのである。

スズムシ:動燃を核物質の再処理工場としての位置を確保したい財政界の面々は、安倍2次内閣が順風となっているように思える。核廃絶どころか、「主権回復・国家社会復帰を記念する日」として428日に祝賀行事を行った無神経にあきれ果てるが、民主党の面々は何にも動かない。沖縄の人々の怒りをどう受けとめるのかね。


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子どもミイラの仮面 [切り抜き]

生前そっくり

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 南米チリの先住民族、チンチョロ族の約5000年前のミイラのマスクをCT(コンピューター断層撮影)で調べたところ、目や鼻、口の位置を合わせて故人の面影を残すように作られていたことがわかった。装飾性よりも、亡くなった人のことを思う気持ちを重視したらしい。

 チンチョロ族は、7千年前ごろからミイラづくりをしていたと考えられている。ツタンカーメン王のミイラなどで有名な古代エジプト文明より2000年以上古く、最古のミイラ文化とされている。

 国立科学博物館の篠田謙一人類史研究グループ長らが、放射線医学総合研究所や千葉県がんセンターなどの協力で、身長約70cm1歳未満の赤ちゃんとみられるミイラを撮影した。その結果、顔にすっぽりとかぷせられた土製のマスクの目、鼻、口を示す穴は、赤ちゃんの顔に正確に合わせて開けられていたことが初めてわかった。

 チンチョロ族が暮らしていた地域の河川には、付近の火山から噴出した有毒物質が溶け込んでいたとみられている。CTでも骨に重金属の蓄積の痕跡が確認された。篠田さんは「チンチョロ族の社会は、有毒物質で子どもが多く死亡する社会だった。亡くなった子を忘れないように、親が面影を残したマスクをかぶせたのではないか」と話した。

 このミイラなどを展示する特別展「グレートジャーニー人類の旅」(朝日新聞社など主催)は東京・上野の国立科学博物館で開かれている。

スズムシ:そうか見に行こうかな。時間がとれるかしら。それはそうと、「亡くなった人の事を思う気持ち」と情緒性を強調しているが、まあミイラを制作するのは奴隷で、ミイラになった人は貴族だ。この時代生け贄もあって、多くの子供が犠牲になっているよね。それより、人間って定住しちゃうとそこに愛着がわいて移動できないいきものなんだね。って思う。有毒物質の混入した河の水をきっと飲んでいたのだからね。鉱害病がもう既にあったのだね。すっかり文明的なのだと思う。5000年前などとあなどってはいけないね。


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ひどいんじゃない その2 [切り抜き]

朝日生命「追い出し部屋」月末〔3月〕に廃止

 大手企業で「追い出し部屋」などと呼ばれる部署が次々とできている問題で、生命保険大手の朝日生命保険は、同様の部署を3月末で廃止する方針を固めた。この間題の発覚後、「追い出し部屋」の廃止が明らかになるのは初めて。

 朝日生命が廃止するのは「企業開拓チーム」で、昨年4月にできた。関係者によると、昨年1月に募集があった「希望退職」をすすめられて断った社員らが配属された。仕事は自分の出向先を自分で探すことで、中途採用している企業などに応募する。

 だが、出向先を見つけるのは難しく、150社以上に応募したのに採用されない社員もいた。社員の間では「あきらめて、自主的に退職するように仕向けるのが会社のねらい」(男性社員)との声が出ていた。

 この部署は、厚生労働省が追い出し部屋の実態を調べる今年1月の「先行調査」で、パナソニックなどほかの4社とともに対象になった。その結果、厚労省は「明らかな違法は確認できなかった」と結論づけたものの、しつこく退職を迫れば違法になるとして、全社に注意を呼びかけていた。

 部署の廃止について、朝日生命は「出向先の拡大のために設置したが、相応の成果を出せたので廃止する。社員を退職に追いこむ意図はなく、問題があったとは考えていない」と説明。厚労省からの注意にも「真撃に受けとめているが、今回の廃止とは無関係」(広報担当者)としている。

 朝日生命によると、この部署には当初、30数人が所属していた。出向先が決まるなどして、今では10人ほどに減っているという。廃止後は「通常の人事異動のなかで適切な部署に再配置する」という。

(鈴石:昔国鉄が民営化してJRになった際にも、大量の首切りがあった。特に北海道は厳しかったと記憶している。動労・国労の組合員が対象となっていた。彼らはも追い出し部屋に追い込まれたが、解雇反対運動を展開していた。現在はどうなっているのだろうか?)
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ひどいんじゃない [切り抜き]

「教員偽装請負で提訴 学校から指揮命令」 

 埼玉県深谷市の私立正智(しょうち)深谷高校(渡辺達治校長)の非常勤講師だった20代の女性が4日、違法な偽装請負で働かされたとして、同校側などに正規職員としての地位確認と未払い賃金約450万円の支払いを求め、さいたま地裁熊谷支部に提訴した。私立高校などの教育現場で派遣や請負など非正規で働く教員が増えているが、原告側弁護士によると、偽装請負を巡る提訴は初めて。

 訴状などによると、女性は104月、学校を運営する智香寺(ちこうじ)学園と人材サービス会社イスト(東京都渋谷区)の結んだ業務委託(請負)契約に基づき、イストと契約を結び同校で勤務を始めた。

 本来、請負契約では勤務先から指揮命令を受けずに働くが、女性は学校側からテスト作成を指示され出退勤を管理されるなど指揮命令を受け、1週間で16コマ(1コマ50分)の授業をするなどしていた。

 女性は業務請負のため雇用保険など社会保険もなく、イストに学園が支払った年約314万円のうち、受領したのは額面で約172万円。学園とイストは129月、女性の雇用を巡り労働者派遣法違反があったとして東京労働局から是正指導を受けている。女性は「直接雇用の講師と同じ仕事をしているのに偽装請負という違法行為で働かされ賃金の45%をピンハネされた。こうした働かされ方が教育の現場に広がることを阻止したい」と話した。
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吉増剛造 1 言葉を枯らすことで詩が生まれる [切り抜き]

 人生の贈りもの」に吉増剛造さんが登場していた。それで大好きな剛造さんの出自などをお知らせしたくなった。もうとっくに知ってるよって向きにはごめんなさい。5回シリーズです。

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フランスのマルセイユに3月から5月まで滞在して、詩を書いていました

 ポエトリーセンターという詩人の滞在施設で何千行か書きました。地中海の太古からの港町で、フランス語もアフリカの言葉も、いろんな言葉が入ってくる。泥棒も入ってきた。東日本大震災と原発事故という大災厄後の、喪のこもりというのかな。日本列島の、帯状の河口のようになつてしまった地域の人への哀悼の心を、つづっていたのだと思います。

大災厄で何かが変わりましたか

 もともと、非常時に向き合うことが運命だと感じてた。「大戦争が始まった、今度のは大東亜戦争というのだよ」というおばあちゃんの声から記憶が始まり、小学校l年生で終戦。感受性のフィルムに戦争の傷痕がやたらについてしまった。第1詩集の「出発」(1964年)は安保の時代の激しい何かを反映している。「オシリス、石ノ神」(84年)も、もう書けないという状態から、突然電車の中で書き出した。僕の詩はある意味、非常時に生まれてきた。

世界中に出かけて創作しています

 あえて非日常に身を置く面もありますが、特に外国では、言葉がささくれだって枯れていく。詩は言葉抜きには考えられないけれども、言葉を崩す、泉を枯らす場所まで行かないと書けない。

ふるさとは東京の福生市。米軍横田基地の街です

 赤線地帯のすぐそばで、おやじが町工場を経営していた。基地に砂利を運ぶ米軍トラックを止め、チョコレートくれとか片言の英語をしゃべっている子供だった。

 妻のマリリアとはアメリカで知り合いました。彼女は僕の中のアメリカ。英語もフランス語もイタリア語もスペイン語もポルトガル語も話す人だから、僕もつられて話せるようになりそうだけど、そうならなかった。言葉を枯らそうとしたんでしょうね。

映像作品「キセキ」(2009年)のように、詩の枠に収まらない作品もあります

 ボタン一つでコントロールできるまで成熟した撮影機が、妖精的に寂しく輝きながら身の回りにあると、声をかけながら道行きしたくなる。素晴らしい皮膜のような目や耳をもつ機械に語りかけるとポエジーが立ち上がるんです。

 単行本よりも雑誌が好き。漫画もコラムもある雑居性が。詩集というときれいなテノールの声が流れている印象が強いけれど、僕はピユアじゃなく混ざっているものをよしとする気持ちがすごく強いんです。

よします・ごうぞう 1939年東京生まれ。慶応大学文学部卒。「黄金詩篇」で高見順賞。「『雪の島』あるいは『エミリーの幽霊』」で芸術選奨文部大臣賞。『表紙』で毎日芸術賞。

(つづく)


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思想の「後ろ姿」見せてくれた [切り抜き]

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1968年の隆明さん。全共闘の教祖的存在であった。

 また出てきた。隆明さんの追悼文が……。2012319日付朝日新聞だ。書いたのは高橋源一郎さん。近頃状況論など積極的に発言していますね。柔らかな文章が好きです。そして、この追悼文では「敬愛」でなく「初恋」にも似た情調あふれる文章になっています。「初恋」は文中にも登場しますよ。二分割しましょうね。

 いま日本さんについて書くことは、ぼくにはひどく難しい。この国には、「わたしの吉本さん」を持っている人がたくさんいて、この稿を書く、ばんとうの適任者は、その中にいるはずだからだ。

 吉本さんは長い間にわたって、多くの人たちに、大きな影響を与えつづけてきた。けれども、その影響の度合いは、どこでどんな風に出会ったかで、違うのかもしれない。

 半世紀以上も前に、詩人としての吉本さんに出会った人は、当時、時代のもっとも先端的な表現であった現代詩の中に、ひとり、ひどく孤独な顔つきをした詩を見つけ驚いただろう。そして、この人の詩が、孤独な自分に向かって真っすぐ語りかけてくるように感じただろう。

 60年代は、政治の時代でもあった。その頃、吉本さんの政治思想に出会った人は、社会や革命を論じる思想家たちはたくさんいるけれど、彼の思想のことばは、他の人たちと同じような単語を使っているのに、もっと個人的な響きを持っていて、直接、自分のこころの奥底に突き刺さるような思いがして、驚いただろう。

 あるいは、その頃、現実にさまざまな運動に入りこんでいた若者たちは、思想家や知識人などいっさい信用できないと思っていたのに、この「思想家」だけは、いつの間にか、自分の横にいて、黙って体を動かす人であると気づき、また驚いただろう。

 それから後も、吉本さんは、さまざまな分野で思索と発言を続けた。そこで出会った人たちは、その分野の他の誰とも違う、彼だけのやり方に驚いただろう。

 吉本さんは、思想の「後ろ姿」を見せることのできる人だった。

 どんな思想も、どんな行動も、ふつうは、その「正面」しか見ることができない。それを見ながら、ばくたちは、ふと、「立派そうなことをいっているが、実際はどんな人間なんだろう」とか「ほんとうは、ぼくたちのことなんか歯牙にもかけてないんじゃないか」と疑うのである。(つづく)


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吉本隆明さんの孤独 大井清一 [切り抜き]

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 201244日の隆明さん追悼文。もう随分前の記事だ。切り抜きされたままで反故にするには勿体ない。毎日新聞の文芸担当記者「大井清一」さんの文章にこころが動くからだ。文章構成などにとても参考になる。それで、遅ればせながら提出してみようかな。やや長文なので連載にしましょう。副題は「原点にあった喪失体験」です。

 3月に87歳で亡くなった詩人・評論家の吉本隆明さんには、本紙もたびたび登場してもらった。鮮やかに浮かぶ姿の一つは、20世紀末の199912月におこなった文芸評論家の加藤典洋さんとの対談「2000年を前に」である。

 晩年は歩行が難しくなった吉本さんだったが、当時はつえを突きながらも、しつかり歩いていた。会場は東京都台東区にあ森鴎外ゆかりのホテル。終了後に場所を移しての懇談の席で、お笑い芸人について話したのを思い出す。

 この時の対談で吉本さんは、「文芸の関与する人間の心や精神」が1000年前の平安朝とあまり変わらないのに対し、コミュニケーション手段の変化などによる「感覚文明の進歩の仕方はわれわれの想像を絶する」と話した。

 要するに表層の感覚や表現の仕方は時代に応じ変わっていくが、奥底にある人間の心や精神は1000年単位の長い時間を経ても、そう変わらないということだ。「ことば」の表現を、言語の発生にまでさかのぼって考えた彼自身の関心をうかがわせる発言だった。

 吉本さんの文学と思想については今後、さまざまな角度から論じられるに違いない。ここでは、多方面にわたる仕事の原点にあった「孤独」に注目しておきたい。

 「わたしの制作した小さな礎石の上を、多様な構想を抱いた人々が踏みこえてゆくことを願う。もちろん、たれよりもわたし自身が、わたしの試みを踏みこえて、ゆけるところまでゆくつもりである」

 代表作の一つ『心的現象論序説(71年)の「あとがき」の末尾だ。大学時代に出た文庫版で読み、衝撃を受けたのを覚えている。著作そのものは難しかったが、誰よりもまず自分が荒野を切り開いて進むという姿勢に打たれた。(つづく)


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