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2012-04-11 [スズムシ日記]

できそこないの男たち(光文社新書 2008年)

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 福岡伸一さんの新書判。ロックフェラー大学やハーバード大学で研究員を経験したその地獄のような世界(ボスの奴隷)から這い上がって、『生物と無生物のあいだ』で大ブレーク。今や、茂木さんを追い越すほどの勢いがある、気鋭。メスの出来損ないがオスであると、痛快な論調で迫ってきます。アリマキはみんなメス。でも越冬寸前ではメスはオスを産む。そして交尾してまたメスは大量のメスを産む。夏にはメスがメスを産む。アリマキの世界を人間の世界に置き換えることは不遜ですが、福岡さんの科学的知見の披歴は、ジェンダーの君たちにはどのように写るのだろうかと内心ほくそ笑んでしましました。

 エピローグの次のことばは意味深長です。「それにしてもなぜ男はここまでして女性に尽くしてしまうのか。……」と。彼の仮説は(男は)、「あの感覚から逃れられないからである」。その「あの感覚」とは、「男を支配する究極の麻薬」「生殖行為の際の、強力な快感」である と。「ジェットコースターに乗って、奈落に墜ちるような加速感にそれは近い」 と。

 カバーにはつぎのような文言が……「地球が誕生したのが46億年前。そこから最初の生命が発生するまでにおよ10億年が経過した。そして生命が現れてからさらに10億年、この間、生物の性は単一で、すべてがメスだった。(本文より)<生命の基本仕様>それは女である。本来、すべての生物はまずメスとして発生する。メスは太くて強い縦糸であり、オスは、そのメスの系譜を時々橋渡しし、細い傾糸の役割を果たす“使い走り”に過ぎない。分子生物学が明らかにした、男を男たらしめる「秘密の鍵」。SRY遺伝子の発見をめぐる、研究者たちの白熱したレースと解け引きの息吹を伝えながら《女と男》の《本当の関係》に迫る、あざやかな考察。

 プロローグに掲載された詩(Chiral and chirality by Iris Otto Feigns)は『できそこないの男たち』の論調をすべて備えたステキなものです。一挙には長過ぎるので、順次つまみ出してみますね。

 わたしたちおんなはむすめをうむ

 だれのちからもかりずに

 むすめはせいちょうし

 うつくしいおんなになる わたしにそっくりの

 このようにしてわたしたちおんなはいのちをつむいでいた

 ずっとずっと

 ながいあいだ

 このようにしてわたしたちおんなはへいおんにすごしてきた

 ずっとずっと

 ながいあいだ

(つづく)


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