人生の贈りもの 3 岡井隆(歌人) [スズムシ日記]
短歌に逆風、よくぞ続けたなあ
慶応大学医学部時代 気骨のある風貌だね。僕とは大違いだ!
Q 終戦直後、俳句や短歌を他の芸術より一段低く見なす「第二芸術論」がわき起こりましたね。
A ものすごい革命的な変動の時期だから、何が起きてもおかしくないんですよ。フランス文学者の桑原武夫さんは1946年、当時とても大きな力を持っていた岩波書店の雑誌「世界」に「第二芸術」と題する論文を書きました。そのころのインテリは、朝日新聞と岩波書店とNHKの三つが頼りだったわけですよ。その岩波の雑誌にそれが載った。
Q 「かかる慰戯を現代人が心魂を打ちこむべき芸術と考えうるだろうか」と挑発的です。
A 俳句批判に始まった第二芸術論の波というのは大きかったですね。要は「短歌なんかつくっていては、日本人の知性を改革するのに役立たない」というのです。編集者で文芸評論家の臼井吉見さんなんて、もともとは歌人の島木赤彦さんの熱いファン。その臼井さんまで、「今こそ我々は短歌への去り難い愛着を決然として断ち切る時ではなかろうか」というようなことを言い出した。そうしないと日本の文化は伸びない、というのです。
Q いまでは考えにくい話ですが……。
A ぼくたちアララギの若手が、喫茶店に集まって会合を開こうとするでしょ。「何の会合ですか」と聞かれて、「短歌の」と言えないんですよ。肩身が狭い。見下される気がして「ええ、ちょっと……」としか答えられないの。喫茶店の人がそんなこと考えないとは思うけど、こちらが卑屈になっている。おかしな話!
Q やられっぱなしですか?
A おふくろの歌の先生である土屋文明さんは「短歌はインテリの文学じゃない。民衆の文学だ」と、見事に第二芸術論的状況に対応したんですよ。「さんざん悪口を言われているようだが、我々は民衆の声を伝えるために短歌をつくっているのだ。働いている民衆の生活そのものを詠むのが歌の本質である」と主張した。ぼくは名古屋での講演を壁にもたれながら聴いて、「いいなあ」と興奮しましてね。19歳のときでした。
そのように第二芸術論・短歌否定論をめぐって、ああでもない、こうでもないと激しい議論がなされました。そのなかで、ぼくは、よくぞ歌をやめないで続けたなあと思いますよ。
Q それは、やはり短歌が好きだったからではありませんか。
A ひとつには、それがありますね。もうひとつは仲間や歌の先生たちの存在です。アララギの古い体質に対する革新派、近藤芳美さんに出会いました。「よし、近藤先生について学ぼう」と決めた。だから、ぼくの第二芸術論からの脱出というのは理論的なものじゃないんです。いろんな人間関係や近藤芳美という人物の存在、自分の作品が歌会で評価されたこと……。そういうところが大きかったなあ。
名古屋の朝日カルチャーセンターで二度目の再会を果たした時、私はまだ若く、岡井先生のことを父のように慕っていました。
途中で結社を止めて,数年後、ある席で先生が会いたがっていたよと第三者から聞いたとき、心を掛けていてくださったんだと心の中で泣きました。
先生は女性の弟子たちに人気があり、初対面の中高年の女たちにいびられましたけど、平成の在原業平と勝手に同人仲間と噂していたカッコいい先生でした。隠し子気取りして先生を困らせてやるつもりが、逆に隠し女と間違えられていびられるなんで、ヤバイ思い出です。でも、私の焼きたてのマドレーヌケーキを差し入れするとおやつ代わりに気さくに食べて下さって。作った甲斐がありました。
やっと先生の他界を知りました。残念です。
親父殿、ご冥福をお祈り申し上げます
by レイコ (2021-02-02 17:51)