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2012-09-19 [スズムシ日記]

今 茂吉と向き合う 2

2 手法語り合う歌人ら  ゴッホや映画と共通点

 横浜市の県立神奈川近代文学館で「茂吉を語る会」があった。

 万葉学者の品田悦一東京大教授は、茂吉がゴッホ晩年の作品について書いた随筆から、茂吉の「写生」に迫った。ねじれた糸杉など、ゴッホの奇妙な変形や強烈なタッチに、茂吉は狂気ではなく高い芸術性を見た。「ゴッホと似たことを、自分もことばでしていると直感していたからだ」

 例えば、茂吉の初期の代表作「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根の母は死にたまふなり」は、つばめを見上げると同時に死にゆく母を見つめるという、ゆがみがある。それが異様なまでの厳粛感を生んでいると、品田はみる。

 茂吉の「写生」とは、対象を忠実に再現するのではなく、ゴッホのように「日常の克明な描写を通して見えないものを見せる、『異化』の手法」と語った。

 後半の討論でも、歌人の谷岡亜紀が茂吉の映像的な特徴を語った。茂吉が師の伊藤左干天の死を歌友島木赤彦に伝えようと急ぐ、有名な一首。「氷きるをとこの口のたばこの火赤かりければ見て走りたり」。通りすがりに、店先でたばこをくわえて氷を切る男を見た。それだけで動揺が伝わる。「映画のクローズアップと長回しの手法だ。それが緊迫感を生んでいる」と谷岡は話した。

 茂吉短歌は21世紀の今も新しい。

※斎藤茂吉 1882年、山形県金瓶村(現・上山市金瓶)生まれ。正岡子規の流れをくむ伊藤左千夫に入門、「アララギ」創刊に参加。第一歌集『赤光』で注目された。医業のかたわら、養子となった大病院の焼失などに耐えて名歌を生んだ。1953年死去。県立神奈川近代文学館で生誕130年記念展が開催された。

(おわり)


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