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住めない国土つくった罪 2 [スズムシ日記]

*原発が停止する日

 官僚の言葉遣いはその奥に自分たちが書いたシナリオが見える。「計画的避難区域」という場合の「計画的」とはどういうことか?事態に押しまくられてしかたなく避難するのではなく、自分たちは状況を掌握した上でことを進めているという弁明。「警戒区域」だって実際には「禁止区域」、正確に言えば「高い放射線量ゆえに一般人の立ち入りが禁止される区域」だ。警戒などで済むはずがない。

 この区域の呼び名が今回変わった。「避難指示解除準備区域」とはよくも作文したものだ。「もうすぐ帰れますから待っていて下さいね」という猫なで声を官僚文体にするとこういうことになる。それだって年間の放射線量のリミットを2ミリシーベルトという高い値に設定した上での話だ。国民の生命の値段が安かった旧ソ連でさえ5ミリシーベルトを基準としたのに。安全ですと言われて帰る人たちの不安、それでも帰らないと決める人だちの無念の思いはどうするのだろう。「帰還困難区域」は実際には「長期帰還不能区域」ではないか。「さしあたり」でごまかす論法は二年前に聞き飽きた。

 福島第一の事故は二万人以上が住む国土を住めない土地にしてしまった。国土は国の基本である。石原都知事は尖閣諸島を買うと勇ましいが、「帰還困難区域」の規模は領土問題の比ではない。尖閣諸島や竹島はおろか北方四島と比べてもその喪失は遥に大きい。

 そこには絶海の無人島ではなく、たくさんの住民が暮らしていた愛しい地である。千年も前から作物を育て、家畜を飼い、町や村を営んできた。それを我々は失ってしまった。今後何十年か、ひょっとしたら何百年か、住めない地域を作ったということを、国家としての日本はどう受け止めるのか。

 昔の国家主義者ならば、罪万死に値すると言っただろう。

 一年以上を経て改めて現況を見てみれば、福島第一原子力発電所崩壊の影響を最小限に留めようという財界と政府と官僚の意図は民意によって崩されつつあるようだ。

 怖い、というのは理論や思想以前、感情よりもっと深い、ほとんど本能のレベルの反応である。福島原発1号炉、2号炉、3号炉、4号炉のあの無残な姿に国民は心の底からの恐怖心を感じた。見えない毒物が大量に放出された。覆水は盆に返らない。

 「廃棄物」の問題もある。こう呼ぶと捨てっばなしで済むように思えるが、実際には「長期絶対隔離保管猛毒危険物」である。六ヶ所村が「再処理」でないのならもう受け入れないと言っているのは当然のことだ。そうなると原発は停まる。お宅のトイレが壊れた場合の惨状を想像していただきたい。

 原発を捨てるのは辛い。みすみす失われる電力が惜しい。だけど、ここまで来たらしかたがないだろう。産業界だってこの逆境を機に体質を変えるしかないではないか。
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