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人生の贈りもの 5 船曳建夫 [スズムシ日記]

5 人生学ゼミ 退職後もつながる

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私は学生に嫉妬しない。それは、教師として案外重要なことなんです

Q  英国から1981年に帰国、その後、東京大の教壇に

A  大学院の文化人類学のゼミでは、20人超の博士論文を指導しました。今も2人の論文を見ています。東大文系で、今のところ、最も多く博士論文を書かせた教師かなと思います。

Q  退職記念の講義が2回あったのは異例と聞きましたが

A  私の教育面の大きな仕事として二つのゼミがあり、両方で退職記念講義をしました。文化人類学のゼミが学問を教えたなら、もう一つの一般教養の「船曳ゼミ」は人生を学ぶ場。「船曳ゼミ」は「儀礼・演劇・スポーツ」がテーマで、観劇や観戦、ゼミ旅行、2年に一度のOBOG会もある。退職後は学外で続け、毎月の読書会には十数人が集まります。メーリングリストで約250人がつながり、その一人ひとりに向き合い、教育しているつもりです。私が後期高齢者になるまで続けます。

Q  ホリエモンこと掘江貴文元ライブドア社長も船曳ゼミ生です

A  堀江君はいま長野の刑務所にいますが、一度面会しました。リーダー待望論がよく言われます。でも、「出る杭は打たれる」という社会です。堀江君の事件は検察のやり過ぎの一つだと思います。若い人を萎縮させ社会全体に影響を与えています。経済的な事柄はグレーゾーンが大きい。先日、最近起業した若者と話をした際、「企業の合併や買収などを手がけるのが怖くなった」と言っていた。

Q  お姉さんでフリーの編集者船曳由美さんがお母さんの生い立ちを描いた単行本「100年前の女の子」は話題になりました

A  母は、高等女学校を終えて栃木から上京し、働きながら上の学校に通った。父は関西学院在学時から社会運動をし、両親はキリスト教系の社会運動で知り合った。私は5人きょうだいの末っ子です。子どものころ父の定職がなく貧しかった。高校のクラスで電話がないのは私ともうー人だけでした。それだけに、社会的にうまくいかなかった両親の敵討ちというと変ですが、私の文章が国語の教科書に載った時は達成感がありました。両親にはある種の正義感があり、その家庭で育ったことは精神形成面で大きかったと思います。

Q  今後の予定は

A  退職を機に現バヌアツ共和国マラクラ島の調査をテーマにした博士論文

を「Living Field」という本にまとめました。300年後も資料として必要とされると自負しています。いまは、一人旅の本を書いています。私は海外はいつも一人旅で、その時飲む酒が一番好きですね、。日本文化論のアイデアも温めています。カヌーでの川下りや韓国語の勉強もしたい。

Q  やることが満載ですね

A  自分の限界を知って、「よりよく生きる」ために「死」を考察することは有益だと考えています。でも、生き物である「人」は、「生きること」は考えられても、「死」それ自体を考え抜くようには出来ていない。今は、その時がきたら「死」がどうすればよいか教えてくれると思っています。

(おわり)


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