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古本発掘 [スズムシ日記]

大人のための残酷童話

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 この本、倉橋由美子の創作童話。でも全編由美子ワールドのセクシーな内容が盛りだくさん。山下清澄の色彩銅販画がその妖艶さを増幅させている。挿絵のもつ力を証明するような造本だ。84年発刊で91年にはもう41刷だから、だいぶ読まれたんだね。僕は20年後の遅ればせだ。むかし『スミヤキストの冒険』(だったかしら?)って本を読んだ記憶があるくらいで、倉橋さんにはそんなに馴染みはない。でもリブの力を発揮したひとではないかしら。後書きに(意訳)こうあります。叩首することが多いので抽出しましょうか。

……お伽噺こそ完全に理屈にあったもので、空想ではない。そしてお伽噺に比べれば、ほかの一切のものこそ空想的である。(チェスタトン)お伽噺の世界にはきちんとした法律があり、論理があります。この法律と論理の体系が魔法ですが、魔法は整然と論理的に超現実的な世界をつくりだします。だからお伽噺の超現実の世界は合理主義に満ちているのです。その文章は明確で曇がなく、余計な心理描写も自然描写もなく、世界は整然と進行していきます。同情も感傷もこの帰結を左右することはできません。その意味でお伽噺の世界は残酷なものです。因果応報、勧善懲悪、あるいは自業自得の原理が支配しています。子どもがお伽噺に惹かれるのも、この白日の光を浴びて進行していく残酷な世界の輪郭があくまでも明確で、精神に焼きごてを当てるような効果を発揮するからです。

 しかし、そういう古いお伽噺を子どもが読むことはだんだんすくなくなりました。代わって大人たちが子どもに読ませたがるのは新作の童話、あるいは「児童文学」といういかがわしい読物で、これは主人公に子どもがでてきたり動物がでてきたりはしますが、チェスタトンの言うリアリズム小説を、大人が子どもを演じながら書いたもので、そこにはお伽噺とは正反対の世界があります。子どもっぽい稚拙な文章でくどい描写が続き(ここのところはリアリズムです)、全体はとりとめもなくもやもやした空想の産物になっていて、まるで長い悪夢さながらに退屈です。要するにこれは現代風のつまらない小説の児童版であるわけです。

 スズムシ:とまあこんな調子で児童文学を断罪しています。由美子さんの残酷童話はたとえば白雪姫や一寸法師などのお伽をアレンジしたものです。そして各創作の残酷童話の最後には格言のような文言がつきはなすように添えられています。たとえば「愚かな人間が幸福になることはありません」「狸だって復習します」などなど、明快です。古いなんて言わないで、是非読んで欲しい物ですね。つい最近大阪弁の絵本がクレヨンハウスから出版されましたが、これも残酷物の一つです。「どこいったん」「ちがうねん」の2冊はカナダの人の翻訳本ですが、なかなかすごみがあっていいものですよ。


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