隆明さんの孤独 その2 [スズムシ日記]
こうした孤独の相貌は最初の詩集『固有時との対話』(52年)に、既にはっきりと表れている。
<わたしは自らの隔離を自明の前提として生存の条件を考へるやうに習はされた だから孤独とは喜怒哀楽のやうな言わばにんげんの一次感覚の喪失のうへに成立つわたし自らの生存そのものに外ならなかった>
孤独が「生存そのもの」であるという苛烈な自覚は、青少年期の戦争と敗戦の体験から生まれたものだ。同じ詩に、<生存の与件がすべて消えうせた後にんげんは何によって自らの理由を充たすか わたしは知りたかった>とも記されている。
軍国少年として戦争に没入し、敗れた後、亡国の日本で「生存の与件」を失ったと感じた人は数多くいただろう。だが、誰もが「喪失」を抱え続けられたわけではない。20歳で敗戦を迎えた吉本さんほど、すべてを失った地点から考え抜いた人はいなかった。その厳しさが孤独を深めもし、彼の思想に人々の目を向けさせる力の源にもなった。
では、戦争(敗戦)を体験しなければ、言葉は力を持たないのか。決してそうではあるまい。第2詩集『転位のための十篇』(53年)には、次のような詩句もあった。
ぼくたちのこころはうけいれられないとき
小鳥のやうなはやさでとび去り
そのときぼくたちをとりまいている微温を
つき破ってしまうのを知っている
周囲と折り合うことができず、「もう生きていられない」と人が感じることは、どこの国であれ、どの時代であれ、経済的に豊かな社会であっても常にあり得ることだ。孤独な魂から発した言葉が通りいっペんの「連帯」の掛け声よりも、よほど人々の心を捉え、動かすというのも時代や場所によらずあり得るだろう。
吉本さんの生涯は、そうした言葉の可能性を語っているともいえる。自らの築いた「礎石の上を、多様な構想を抱いた人々が踏みこえてゆく」との彼の未来像は、いま不思議と希望を抱かせる。(おわり)
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