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思想の「後ろ姿」見せてくれた [切り抜き]

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1968年の隆明さん。全共闘の教祖的存在であった。

 また出てきた。隆明さんの追悼文が……。2012319日付朝日新聞だ。書いたのは高橋源一郎さん。近頃状況論など積極的に発言していますね。柔らかな文章が好きです。そして、この追悼文では「敬愛」でなく「初恋」にも似た情調あふれる文章になっています。「初恋」は文中にも登場しますよ。二分割しましょうね。

 いま日本さんについて書くことは、ぼくにはひどく難しい。この国には、「わたしの吉本さん」を持っている人がたくさんいて、この稿を書く、ばんとうの適任者は、その中にいるはずだからだ。

 吉本さんは長い間にわたって、多くの人たちに、大きな影響を与えつづけてきた。けれども、その影響の度合いは、どこでどんな風に出会ったかで、違うのかもしれない。

 半世紀以上も前に、詩人としての吉本さんに出会った人は、当時、時代のもっとも先端的な表現であった現代詩の中に、ひとり、ひどく孤独な顔つきをした詩を見つけ驚いただろう。そして、この人の詩が、孤独な自分に向かって真っすぐ語りかけてくるように感じただろう。

 60年代は、政治の時代でもあった。その頃、吉本さんの政治思想に出会った人は、社会や革命を論じる思想家たちはたくさんいるけれど、彼の思想のことばは、他の人たちと同じような単語を使っているのに、もっと個人的な響きを持っていて、直接、自分のこころの奥底に突き刺さるような思いがして、驚いただろう。

 あるいは、その頃、現実にさまざまな運動に入りこんでいた若者たちは、思想家や知識人などいっさい信用できないと思っていたのに、この「思想家」だけは、いつの間にか、自分の横にいて、黙って体を動かす人であると気づき、また驚いただろう。

 それから後も、吉本さんは、さまざまな分野で思索と発言を続けた。そこで出会った人たちは、その分野の他の誰とも違う、彼だけのやり方に驚いただろう。

 吉本さんは、思想の「後ろ姿」を見せることのできる人だった。

 どんな思想も、どんな行動も、ふつうは、その「正面」しか見ることができない。それを見ながら、ばくたちは、ふと、「立派そうなことをいっているが、実際はどんな人間なんだろう」とか「ほんとうは、ぼくたちのことなんか歯牙にもかけてないんじゃないか」と疑うのである。(つづく)


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