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吉増剛造 1 言葉を枯らすことで詩が生まれる [切り抜き]

 人生の贈りもの」に吉増剛造さんが登場していた。それで大好きな剛造さんの出自などをお知らせしたくなった。もうとっくに知ってるよって向きにはごめんなさい。5回シリーズです。

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フランスのマルセイユに3月から5月まで滞在して、詩を書いていました

 ポエトリーセンターという詩人の滞在施設で何千行か書きました。地中海の太古からの港町で、フランス語もアフリカの言葉も、いろんな言葉が入ってくる。泥棒も入ってきた。東日本大震災と原発事故という大災厄後の、喪のこもりというのかな。日本列島の、帯状の河口のようになつてしまった地域の人への哀悼の心を、つづっていたのだと思います。

大災厄で何かが変わりましたか

 もともと、非常時に向き合うことが運命だと感じてた。「大戦争が始まった、今度のは大東亜戦争というのだよ」というおばあちゃんの声から記憶が始まり、小学校l年生で終戦。感受性のフィルムに戦争の傷痕がやたらについてしまった。第1詩集の「出発」(1964年)は安保の時代の激しい何かを反映している。「オシリス、石ノ神」(84年)も、もう書けないという状態から、突然電車の中で書き出した。僕の詩はある意味、非常時に生まれてきた。

世界中に出かけて創作しています

 あえて非日常に身を置く面もありますが、特に外国では、言葉がささくれだって枯れていく。詩は言葉抜きには考えられないけれども、言葉を崩す、泉を枯らす場所まで行かないと書けない。

ふるさとは東京の福生市。米軍横田基地の街です

 赤線地帯のすぐそばで、おやじが町工場を経営していた。基地に砂利を運ぶ米軍トラックを止め、チョコレートくれとか片言の英語をしゃべっている子供だった。

 妻のマリリアとはアメリカで知り合いました。彼女は僕の中のアメリカ。英語もフランス語もイタリア語もスペイン語もポルトガル語も話す人だから、僕もつられて話せるようになりそうだけど、そうならなかった。言葉を枯らそうとしたんでしょうね。

映像作品「キセキ」(2009年)のように、詩の枠に収まらない作品もあります

 ボタン一つでコントロールできるまで成熟した撮影機が、妖精的に寂しく輝きながら身の回りにあると、声をかけながら道行きしたくなる。素晴らしい皮膜のような目や耳をもつ機械に語りかけるとポエジーが立ち上がるんです。

 単行本よりも雑誌が好き。漫画もコラムもある雑居性が。詩集というときれいなテノールの声が流れている印象が強いけれど、僕はピユアじゃなく混ざっているものをよしとする気持ちがすごく強いんです。

よします・ごうぞう 1939年東京生まれ。慶応大学文学部卒。「黄金詩篇」で高見順賞。「『雪の島』あるいは『エミリーの幽霊』」で芸術選奨文部大臣賞。『表紙』で毎日芸術賞。

(つづく)


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