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終わりと始まり その3 [切り抜き]

異なる倫理とのバトル 終章 

 倫理の問題について、これまでの自分の論法が間違っていたのではないかと思うのだ。

 例えば水俣病。チッソのやりかたは個人の倫理をもってすれば悪逆非道ということになる。業務上過失敦死という判決はあったけれど、実際は未必の故意による殺人ではなかったか。

 あるいは福島における東京電力。よくもまああれほどぬけぬけと嘘をつき、白を切り、ごまかし、隠し、払うべき額を値切れるものだ。

 だが、そこのところをホモ・サピエンスの倫理で責めてもなじっても、それは栓ないことではないか。種が違い、生きる目的が違うのだから。人でないものに人倫を求めるのは無意味だ。

 大企業の経営者の人間性を問うのも見当違い。彼らはホモ・サピエンスの顔とホモ・エックス代表の顔を持っていて、この間には何の連絡もない(高村薫が『レディ・ジョーカー』で書いたとおり)。家で温厚な祖父が会社で被災者を冷酷に突き放す。人格が違うのだ。

 これはあまりに法人性悪説に傾いた論だろうか。

 製造業に恩義はある。ぼくたちは彼らの作った自動車に乗り、彼らの売る衣類を着て安楽に暮らしている。彼らの製品であるアセトアルデヒドや電力があってのこの暮らしだ。それならば共生は相制約だと認めるべきだろう。

 しかし、今の世界では個人の力に比べて法人の力があまりに強くなった。我々が太陽のエネルギーや酸素や水で生きているように、法人は資本で生きている。自然にはリミットがあってそれが個人の生きかたを規制してくれるが、資本はもともとが幻想だから天井がない。早い話が日本銀行が紙幣を刷ればいいだけのことだ。その分だけ法人たちは力を得て強くなり、個人の栄養分を吸い上げる。片利共生はやがて寄生に変わる。

 つまりこれは人間ではないものを相手にするバトルなのだ。東電で働く個人のみなさん、経済産業省で働く個人のみなさん、共闘しましょう。

(おわり)

スズムシ:ホントですね。本気で考えませんか?東電で働くみなさん!あ、そうそうアメリカCIAの元職員が暴露しましたね。テロ対策で個人情報をずっと盗聴したり、ネット上の情報を取得していたと……。まあ、これも資本の側の話で、人間ではないのですね。CIAという人間がつくりだした最強のオバケだと言えましょう。


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